靖国神社問題について

 我が国は明治維新以降、国家統治の手段として神社神道を国教化しました。そして戦後、太平洋戦争に敗北してからは国家と宗教を厳密に分離し、宗教団体には公的な関与が出来ない、課税もされない、警察権力も及ばない、公的な立場で参拝してもいけないことになったのです。

靖国神社はもともと慶応四年に始まった戊辰戦争で亡くなった官軍兵士を祀る「東京招魂社」として、明治二年に設立されました。その後、西南戦争が終わった明治十二年に東京招魂社は別格官幣社・靖国神社と改称され、社域を大幅に広くするとともに、それまでの戦没者の霊を「神霊」としました。陸海軍が戦没者の祭神名票・英霊を選び、天皇陛下がご裁可され、靖国神社はそれを霊爾簿に官位と姓名を列記した後、天皇の命により招魂式と合祀祭を執り行いました。こうして初めて戦没者は英霊から「神霊」となりました。ですから遺骨などは、靖国神社には祀られていないのです。

しかし昭和二十年の終戦を迎えGHQから「神道指令」出され、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられました。しかし靖国神社は、神社との名前があっても一般の神社とは少し意味合いが違いました。軍事施設の一種であるとしてGHQはその破壊を考えましたが、当時の日本国民の意識を考慮して、存続を認めました。つまりもともとは軍の施設だったのです。そして昭和二十一年九月に東京都認証の一宗教法人に申請し、登記をされたのでした。

靖国神社にA級戦犯とされた十四名の方々が合祀されたのは昭和五十三年であり、国会で議決したわけでも、政府が認めたわけでもなく、一宗教法人の祭祀の一環として行われました。このある種のおかしさから昭和四十四年以降、特別の公的慰霊施設とすることとした「靖国神社法案」なるものが何度か提出されましたが、結局は成立しませんでした。

では、靖国神社に我が国の総理が参拝することがどうして中国や韓国から強く非難されるのでしょうか?そのわけは次の通りになります。

第二次世界大戦の終了に対し、ドイツは連合国軍側と交渉した結果、「ヒットラーという独裁者がこの大戦の責任者であり、ドイツ国民は責任者ではない」という処理の仕方をしました。それにならって日本でも、「東条英機以下当時の戦争指導者(A級戦犯)に戦争の責任があり、天皇陛下にも一般国民にも戦争責任はない」という処理をしたのです。したがって現在において「その責任があるとされたA級戦犯を祀ってある靖国神社に現代の総理が参拝に行くということは、戦争責任者を崇めるということであり、約束違反である」というのが中国や韓国の理屈です。

しかし我が国において、例えば我が地元の歴史上の英雄である楠木正成は、南北戦争の最中、足利の大軍約十万と山中でゲリラ戦を展開し、勝利しました。そして亡くなった自分の配下の部下とともに、敵方である足利軍の武士も同じ墓に埋葬しました。このように日本の価値観として「亡くなればそれは仏となりともに崇める対象である」というように考えるのであって、生きている時に敵であろうと味方であろうと、また良いことをしようと悪いことをしようと、ともに仏として祀るという価値観を持っているのです。したがって日本の国の代表である総理大臣が靖国神社にお参りすることは、そのような価値観の反映として、また先の大戦で心ならずも戦地に向かい死んでいった方々を、特にいたわる気持ちから参拝するのであって、なんら問題はないと私は思います。

しかし、そのことをもってしても中国や韓国が約束違反ということで強烈に反発することも考えられます。そうなれば、現時点ですでに二万社を超える企業が中国へ進出している現実をみますと、その企業の日々の営業に甚大な障害が発生する恐れもありえます。そのようなことも考慮して上の総合判断として、小泉総理は今年も八月十五日に靖国神社を参拝しなかったのでしょう。

ところで、この問題が今後も尾を引くのは当然のことでしょう。この問題の解決には、やはり靖国神社を宗教法人ではなく、国の代表である総理や天皇が参拝できる公的な法人の形にすることが必要だと考えます。




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