満つれば欠ける。
月も時勢もである。
順にいくなら、明るさと勢いが戻る。

日本は今、新しい胎動に呻吟しているのであり、それは一陽来復の前触れであって欲しい。国民の誰もが、そう願っている。

まして、「二十一世紀型国家の創設」をライフワークとする竹本直一(たけもと・な おかず)衆議院議員にとって、願望の強さは並みではない。先人の遺した固有の文化に思いを至し、将来を見据えたビジョンの確立へと、温故知新による大計を推進している。

竹本議員は昭和十五年十一月二十三日、大阪府南河内郡河南町に生まれる。姉と妹に挟まれた一人息子である。富田林高校を優秀な成績で卒業し、京都大学法学部に入学。

在学中に国家公務員上級試験に合格する秀才ぶりを発揮、上級甲(法律)で採用。昭和四十四年、政府派遣留学生に選ばれ、米カリフォルニア大学バークレー校の大学院に学ぶ。

同大学院は本来、二年コースだが実力を認められて一年で終え、残る一年はコロンビア大学へ籍を移す。

この留学二年間は貴重な体験だった。勉学はもちろんだが、大国アメリカの光と影の部分をも肌身に感じたからである。それは、つき合わせて日本の在り方を学ぶことでもあったからだ。

帰国後、建設省で国際協力、高速道路、住宅、下水道の仕事に携わる。主なポストは五十七年の近畿地方建設局総務部長、阪神高速道路公団業務部長(五十九年)、国土庁防災企画課長(六十年)、首都高速道路公団総務部長(六十二年)、建設省河川局総務課長(元号変更で平成元年)など。

平成二年には、折から大阪で開催された「花と緑の博覧会」に日本政府代表代理として、八十か国の各国代表と親しく交わり、『外交官』の活躍を見せたのだった。

友好を深めた花博閉幕後、建設省住宅局住宅整備公団監理官を経て三年、国土庁官房審議官となる。翌四年春に意を決して官僚生活に終わりを告げ、政界進出へのスタートを切った。

八年十月に行われた衆院選で大阪十五区より立候補して初当選を飾る。

選挙区の南大阪地域は古い歴史を有する地である反面、社会資本の整備の遅れが目立った。竹本議員は建設省時代の経験を活かし、幹線道路の着工、下水道の普及といった公共施設の拡充に力を尽くし、地元の熱い期待に応えている。

約四年間の実績を積み重ねて十二年六月、同じく大阪十五区で再選を果たす。

早くも自民党内にあって政策立案、実行力を高く評価されていた竹本議員は十三年一月、いわゆる省庁再編による『新省』、経済産業省の初代大臣政務官に抜擢されている。第二次森喜朗改造内閣の時である。

竹本議員は国際通としても知られている。百か国近い国を歴訪し、昨年も米国、中南米、中国、台湾などを訪れ、各国要人と活発な意見交換を行ったのをはじめ、最近では世界の貧しい人々に居住の場を与える運動である国連ハビタット議連の副会長(アジア地区)の立場でベルリンの世界大会で演説した。

党国対副委員長、国土交通部会長代理、経済産業委理事、政治倫理確立及び公選法改正特別委理事など党、衆院の要職を務める竹本議員は、「努力すれば報われる社会」の実現に向け邁進しているところである。

プロフィールに戻る



トップ | プロフィール | ビデオメッセージ | 今日のたけちゃん | 私の政策 | 活動報告 | ふるさと紹介 | 後援会より