私のふるさと
 ふるさとだより




 富田林市
 河内長野市
 松原市
 大阪狭山市
 太子町
 河南町
 千早赤阪村
 堺市美原区


 松原市
 富田林市
 河内長野市
 大阪狭山市
 堺市美原区
 太子町
 河南町
 千早赤阪村


 金剛山
 楠正成
 後醍醐天皇
 楠妣庵
 弘川寺
 高貴寺
 西行法師
 弘法大師(空海)
 聖徳太子
 親鸞
 小野妹子
 実慧
 観心寺
 天野山金剛寺
 行基
 旧杉山家
 石上露子
 与謝野晶子




2009年6月20日河内長野国政報告
2009年4月21日富田林市国政報告















私の故郷「大阪」の特に南河内地方というのは、私が生まれ育ったところです。

金剛・葛城という大きな山に荒廃を免れた緑豊かな森、加えてこの地は古代中世近世にわたる色々な歴史遺産の宝庫でもあります。

しかし、それだけの観光価値がありながら、京都・奈良に比べてあまりにも知られなさすぎており、それのみか誤解されて報道されている面があるのは、非常に残念だと思っています。

いわゆる河内地方というのは、田舎で良くも悪くも庶民的であるというように伝えられております。確かにそういう面はありますが、それ以上に日本の1000年近くに亘る歴史の足跡が色濃く刻み込まれている地域であるということもまた事実です。

これから、私の故郷紹介をこのような歴史遺産を中心に、私個人の好みを通じ加えて、また、私自身の経験と思い入れも含めながら、お話してみようと思います。



大阪と、奈良・和歌山を分ける山

先ず第一は「金剛山」です。1225mの高さで府下最高峰ということでありますが、まぁ、この程度の山は、日本の各地にいくらでもあるわけですが、我々にとっては、大阪と奈良・和歌山を隔てる大きい山であります。

と同時に「役の行者」開山の修験の山として発足した山でもあって、いまでは、ハイキングやキャンプを楽しむレジャーの山になっているようです。一説によると、日本で一番登山客の多い山だと聞いております。

山を登ると

私は、地元の中学校生の時に必ず冬の雪中登山というのを、この山でやらされました。
樹氷がきれいで、なんとも爽やかな山でありました。

最近は地球温暖化のせいか、むかし程の寒さは感じられず、特にツララはあまり見られなくなりましたが、空気清涼なそして山頂に立てば、山と平野・古代奈良時代の遺跡を持つ奈良の都の足跡を眺望できる素晴らしい場所であります。



名将の拠点

さて、この山には有名な歴史が残されております。

なんといっても、今から600数十年前、地元の地方武士であった「楠 正成(くすのき まさしげ)」一族が住まいし、そして太平記にも記されているように、北条氏の大軍を相手に智略をめぐらし、勇猛果敢に戦い抜いたという逸話が数多く存在する山なのであります。

楠氏が、この地方の豪族であったのは事実ですが、それが何故に南朝後醍醐天皇にお仕えするようになったのか、種々の説がありますが、興味のあるところです。

いずれにしろ、日本の歴史にこの地方が、その表舞台として登場したのは事実であります。

正成の遺品

ただ、楠氏一族の遺品となると、幼少の時修行に励んだという河内長野の観心寺、あるいは、楠 正成の母親が祭られている富田林市の楠妣庵(なんぴあん)等に、僅かにその遺品が残っております。

一般的に「これは間違いなく楠正成の物である」という遺品は、あまり見かけません。

今なお愛される人物

ただ、千早赤阪村の村民は、いたく楠 正成の遺徳を愛し、それを尊敬もしており、地元では、千早赤坂村史跡保存会という法人を作り、村民挙って参加する中で、毎年春、楠 正成が辿ったという京都やその他の各地を訪ねるのを楽しみにしているそうです。

先達っては、村民約200名がバス4台で、皇居前にある「楠 正成」の銅像を水と布で清掃することに参加しました。いまどき見られないすばらし行為だと好評を博しております。


さて、隣の河南町は、なんといっても、弘川寺と高貴寺が特筆すべきものでありましょう。

ここは、私の生まれた町でもあります。
山の中腹にある弘川寺には、私自身が時々訪ねることがあります。
静寂に富んだ素晴らしい山寺であり、「願わくば花のもとにて我れ死なん」と詠んだ西行法師終焉の地としても有名であります。

境内には、樹齢350年の海棠や桜・つつじ・牡丹などが、鮮やかに咲き誇っております。
また、高貴寺は河南町平石に存在する山寺であり、弘法大師等が修行をした古い寺と伝えられております。
非常に山深いところにあり、静寂な雰囲気はなんとも言えないものがあります。


更に北へ下ると太子町に入ります。ここはなんといっても、聖徳太子の御廟・お墓を守るために推古天皇が建立したと伝えられる永福寺があります。
空海・親鸞などの足跡も記されておりますが、春には、4月8日に餅まきをするなど、町民から「我が家」のように親しまれている古い寺であります。

また、その近くには、聖徳太子がその昔、大陸に遣隋使として派遣した小野妹子の墓があります。
長い石段を登った高台にあって、そこからは、大地を一望できるのであります。

更には、日本最古の官道・国道といわれる竹内街道もこの太子町内を通っております。
奈良の大和飛鳥と大陸を結ぶ玄関口であった難波の港をつなぐ重要な道路であります。

江戸時代には、諸大名の参勤交代の街道としても栄えたといわれておりますが、この竹内街道の途中に国土交通省の補助で出来た道の駅があります。
私は、時々、そこに立寄りますが、単に地元で採れる農産物を売るのみならず、その販売に地元の農民が交代で参加し、そこの地域に、完全なひとつの心安らぐ雰囲気のコミュニティが出来上っております。

非常に素晴らしい「人と地域の和が実を結んだ名地」といってもいいのではないかと、私は思っております。


河内長野市には、奈良時代に「役の小角」が創建し、弘法大師の弟子の実慧が完成させたと言われる観心寺があります。
南朝に縁の深い寺でもあります。

さき程も申し上げたように、楠 正成幼少のころの学問所としても、知られている所であります。
国宝の金堂をはじめ楠公の立掛けの塔など重要な文化財が点在しております。
私にとっては、薫風かおる5月に催される楠公祭、琴の音のもとに「青葉しげれる桜井の」という詩を聞くと、いかにも河内だなという思いをつくづく感じる大好きな場所であります。

また、節分の時には、この土地に櫓を組んで餅まきを行います。私は、お餅をまく役目をいたしますが、「本当に地元へ帰ったなぁ」ということをこの餅まきの最中に感じるのであります。
なぜならば、我々の子供時代、千早赤阪村の水分神社の餅まきで、餅を必死になって拾ったのをよく覚えております。
今どき餅を拾って、どうということもない飽食の時代でありますが、昔を思い出す懐かしい、また、家族共々「キャーキャー」声をあげて、愉快に遊びの出来る場所でもあります。

その隣にある天野山金剛寺。これは行基が創建し、のちに女人高野と呼ばれるようになった寺であります。
全体の佇まいは、実に素晴らしい建築物であり、私から見れば、境内でも催される秋の観月の宴は、まさに王朝絵巻といえる迫力を持って楽しめるものであります。
河内長野の市及び観光協会が、このイベントを行っておりますが、私は、実に素晴らしい出来栄えだと思っております。




富田林市は、古く中世の時代から栄えてきた、非常に歴史の古い町であります。
富田林市で、特に有名なのは寺内町です。

戦国時代、興聖寺別院を中心に周辺4ヶ村の人々を集めて開拓したのが始まりといわれております。
町のあちこちに、戦乱を避けるための工夫が色々と見られます。今でも200軒近い古い町家が残っております。
日曜日になると、その静かな佇まいを絵に描こうとするアマチュア画家でいっぱいになっております。

また、富田林市の寺内町には、旧杉山家の住宅があります。
杉山家というのは、江戸時代から代々造り酒屋を営んでいた旧家でありますが、ここに生まれた、本名「杉山たか」・ペンネーム「石上露子(いそのかみつゆ子)」は、その生涯を与謝野晶子らと共に、明星派の歌人としての地位を確固たるものにしております。

案外、知られておりませんが、この旧家に生まれ、そして文学に憧れ、恋をして、当時、地域の大変な伝統と風習の制約の中で、心の自由を求めて、すばらしい詩を作った歌人であります。
関連の図書も文芸春秋社をはじめいくつか出ております。
是非、お読みいただきたいものです。

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